ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手はどんな選手?身長、出身中学、親、経歴を紹介!
ラマル・ギービン・ラタナヤケ(RAMAL GEEVIN)選手について紹介します。
まずは簡単なプロフィールです。
ポジション |
サード |
身長、体重 |
180cm/92kg |
投打 |
右投右打 |
出身地 |
愛知県名古屋市港区 |
中学所属チーム |
愛知港ボーイズ |
高校 |
大阪桐蔭 |
経歴、実績 |
村瀬杯愛知県中央選抜 |
ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手はどんな選手?
1回表 大阪桐蔭の攻撃
— 甲子園ボーイ (@ZVzrddqd65FYTvB) October 30, 2022
一死から山田くんの好走塁ツーベースから4番抜擢ラマルが初球を捉え、先制のタイムリーツーベース?? pic.twitter.com/pOEzC2Ibaf
中学時代の愛知港ボーイズで注目を集め、大阪桐蔭入りした選手です。
中学時代から「スイングスピードは群を抜いている」と、野手としての素質を買われていました。
中学通算50本塁打。
打球を飛ばすことができる才能を西谷監督に見込まれ、大阪桐蔭に入学しました。
尚、ラマル選手が所属していた愛知港ボーイズは愛知県中央支部所属のボーイズリーグのチームです。
2016年2月に結成されたチームで、まだ歴史も浅く、全国的な強豪というわけではありません。
ラマル選手が所属していた当時は、1度も全国大会の出場実績はありません。
それにも関わらずラマル選手の噂が広がり、大阪桐蔭の関係者の目に留まり、スカウトという流れになりました。
中学2年の冬には、大阪桐蔭から推薦入学の打診を受けたということで、ラマル選手を早くからマークしていたことが分かります。
高一にして早くもスイングスピードは最速153キロを記録しています。
ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手の家族構成とは?
両親はインド洋の島国・スリランカ出身です。
父バンダーラ・ラタナヤケさんが29年前に日本に留学生として来日。
一度スリランカに戻り、母国で結婚するも妻とともに再来日。
その後は日本に定住しており、ラマル選手は生まれも育ちも日本です。
そして日本の学校に通っているので、ドラフトで指名されても外国人扱いにはなりません。
尚、名前の由来は、
ラマル=『太陽のように輝く男の子』
ギービン=『音楽を聞くのが好きな男の子』
という意味があるそうです。
スリランカの公用語から名づけられました。
ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手の特徴とは?
中学時代140キロを投げる投手としても活躍していましたが、高校では野手に専念しています。
西谷監督はラマル選手について「1発を期待してしまう。しっかり振っていける。天性の飛距離がある。当たったとき、ビックリするくらい飛ぶ子。練習でも右中間へ左打者が引っ張ったような打球を飛ばしていました」とコメントしています。
このことからも決して引っ張るだけでなく、右方向へも強い打球を飛ばせるバッターということが分かります。
また「歴代の教え子と比べても飛距離は遜色ない」とコメントしており、同校OBの中村剛也選手や中田翔選手のようなスラッガーに育っていく可能性もありそうです。
ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手の成績は?
2022年大阪府高校野球秋季大会から実戦デビューし、秋季近畿大会では準々決勝の彦根総合戦で3安打をマークしました。
この試合で公式戦先発2試合目。
初めて4番に座り、結果を残しました。
1年秋の段階での通算ホームランは5本とのことです。
ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手の好きな球団は?
特に特定の球団に関するコメントはありませんが、「森友哉選手、松坂大輔選手に憧れている」とコメントしていますので、少なからず西武には好印象を頂いているかもしれません。
また地元が名古屋ということもあり、中日ドラゴンズへの愛着もあるのではないかと思われます。
ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手の性格とは?
両親が日本人の優しさ、礼儀に感銘を受けたということもあり、本人も温厚且つ、おだやかな性格と評判です。
また愛知港ボーイズ堀田将司監督は「あいつは一度も腐ることはなかった。根が本当に真面目なんですよ」とコメントしていて、練習態度から真面目に取り組む姿勢が評価されています。
ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手のグローブについて
ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手のグローブについて検証します。
大阪桐蔭高校時代のグローブです。
©Akito Iwamoto
メーカーはアシックスです。
ブラック系のグラブを使用しています。
プロエッジで、ウェブ部分はしっかりボールがホールドできる仕様です。
⇒ラマル・ギービン・ラタナヤケ選手が使っているグローブを探す